おはようございます。
今日もブログを見て頂きありがとうございます。
沖縄の首里城が焼失する前に訪れたことがあります。
小高い丘の上に壮麗な宮殿があり、非常に見ごたえがありました。
沖縄の歴史を紐解く。
12世紀ごろ農耕が始まった。
その後200年ほどして、沖縄本島に3つの小国家が形成され、
各国は中国・明王朝の冊封国となる。
※明の皇帝の臣下となり作物などを献上して、
琉球の統治権を認めて貰っていた。
1429年に統一国家「琉球王国」が誕生した。
主に日本、中国、朝鮮、東南アジアを交易圏とした
中継貿易の地位を確立した。
1609年に薩摩藩が琉球王国に侵攻、実質的に支配下におく。
しかし、実質的には中国の支配下にあり、日本とは区別
されていた。
1868年(明治元年)に明治政府は琉球統合の意思表示を
行った。
当時もめたそうです。
それは・コストが合わない・差別意識が原因。
ただ井上馨、山形有朋などは本土からなるべく遠方に
国境線を引き「本土防衛」のために沖縄を編入したい。
1871年に本土で廃藩置県が実施。
鹿児島藩は琉球を王国のまま鹿児島県の管轄地に。
翌1872年に琉球王府を維持したまま琉球藩を設置。
尚泰王は日本の華族に列せられた。
1871年に台湾に漂流した宮古島民54名が、台湾の先住民族
パイワン族に殺害される。
1873年、日清交渉の場で双方が「琉球民は自国民」と主張。
1874年、日本は報復として台湾に出兵。
パイワン族30名戦死。
出兵後の日清交渉にて、日本は賠償金(戦費の10分の1)と、
互換条款中に琉球人を「日本国属民」とする一節を挿入。
※台湾との事件については2005年に和解イベントが行われた。
その後日本政府と琉球王府の話し合いが行われるが、
決着はつきませんでした。
が、1879年に沖縄県設置を通告、首里城の明け渡しを命じる。
琉球王国は滅亡し、沖縄県として大日本帝国に編入。
日本政府は琉球を攻撃はしなかったものの、強い圧力を
かけて沖縄を編入したという事。
これが沖縄が日本に組み込まれた経緯。
こちらの本からの引用です。

さて、問題はここから。
タイトルの「三跪九叩頭の礼」。
僕は中国史などが好きなので、中国ドラマもよく観る。
そこで出てくるのがこの屈辱的な「三跪九叩頭の礼」です。
※知りたい方は調べてみてください。
あまりにも屈辱的な儀式です。
これが首里城で目玉行事としてやっていたと知った。
2017年に行われた「首里城祭り」。
「華やかな琉球王朝時代を体感できる・首里城祭り」と。
その催しの中でこの世界一屈辱的な礼と言われる
「三跪九叩頭の礼」の儀式が入り込んでいた。
イベントの解説では「中国の皇帝が派遣した使者を迎えて
行われた新しい国王の任命の儀式が再現され、訪れた
人達が厳かな儀式の様子に魅了されていました」と
紹介されていたそうだ。
しかしこの儀式は「中国の属国」であることを示す、
世界一屈辱的な礼と言われている。
僕は沖縄に行ってから、沖縄が大好きになりました。
特に泡盛は絶品です。
だからこのことを知った時に「怒り」が湧きました。
首里城が再建された折には、このバカげた儀式はやめて
もっと明るいものに変えるべきだと考えます。
ちょっと怒ってます。
※首里城

今日も良い日でありますように。
ではでは・・
スクラップマスター南
yukimm425@gmail.com