2020年11月30日

日本の「銀」とオランダ、東南アジアの関係


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関ヶ原の戦いが1600年。

1603年に家康は江戸幕府の初代将軍になる。

1615年に大阪冬の陣で、豊臣方が消える。


アメリカの歴史は移民と植民地、独立の歴史。

1493年から1776年はイギリスとフランスの植民地。

1776年から1789年は独立戦争と国家建設の時代。


1603年はスペインが攻勢を誇っていた時代。

その当時日本は「銀」産出で世界の3分の1を占めていた。

特に有名なのが「佐渡」の銀山。

家康が豊臣に対抗するために、日本全国の銀山を開発。

当時年間100トンの銀を産出。

佐渡だけで2300トンの埋蔵量があった。


日本には佐渡・岩見・生野・倉谷・院内・八森・畑・延沢
・黒森・半田・縄地・土肥・多田・対馬と開発された。

佐渡においては5万人が投入され、昼夜休みなく採掘。


ここに世界初の株式会社「東インド会社」を使い、
日本の銀と、スペインの植民地を狙い動き出していた。

それが「オランダ」である。

彼らは家康に近づき、日本の銀を狙っていた。

その後スペインも家康に近づいたが、オランダに負ける。


家康はオランダを選んだ。

オランダは「貿易のみ」を家康に伝えていた。

但し、貿易品の支払いは「銀で」とお願いしている。


方やスペインは「貪欲」な方針で家康に交渉。

家康が欲しくてたまらない「鉱山技師」を派遣すると約束。

但し、条件は産出の「銀」の半分をスペインが頂く。

ライバルのオランダ人の追放。

キリスト教の宣教師の布教を認める、3つを条件として出した。


スペインは日本のサムライの強さを認識しており、
普通に戦争しても勝てないと分かっていたので、
「キリスト教徒」を多く作ろうとしていた。

つまり将来の自分達の「兵士」として使うために。

スペインは本気で日本を植民地にするつもりだった。


ところがオランダは「貿易のみ」しか興味は無いという。

これで徳川幕府は「オランダ」を選ぶ。


家康から見捨てられたスペインは、豊臣家につく。

豊臣についても、スペインの目的は同じ。

日本の植民地化。

当時のフィリピンとメキシコと同様にしたい。


大阪夏の陣で、家康方は劣勢。

豊臣方は、スペインから火縄銃、鉛の弾を調達していた。

「接近戦」では徳川は勝てない。


そこで家康はオランダに「大砲」の製造を依頼。

これが当時世界最先端の軍事兵器「カノン砲」である。


当時オランダはヨーロッパの軍需産業の中心地。

特に戦国時代の日本が上客。


火縄銃が届かずに、天守閣・御殿を直接攻撃できる大砲が、
どうしても必要だった。

その距離は約500mだが、当時はなかった。

冬の陣で「カノン砲」12門が火を噴いた。

6sの砲弾が秒速340m(音速に近い)速度で飛び、
天守閣などを直撃した。

このようなこともあり、徳川が勝利した。


さて、日本はこの後265年に及ぶ徳川政府が続くが、
それまで「戦(いくさ)」で食っていた「武者」達が
食っていく場所を失った。

その後オランダは家康と更に密になっていく。

日本からは火縄銃・日本刀が輸出されるようになる。

そこに「日本の武者」も入っていく。

彼らは「日本人の傭兵」として雇われていった。

その数、数千人に及ぶことがオランダの資料から判明。

徳川はオランダの力を利用し「御朱印船」で東南アジアに
ドンドン進出していく。

各地に「日本人町」も多くできた。

オランダは戦上手な「日本人傭兵」を巧みに利用し、
スペインの植民地を簒奪していく。

その後の世界の船の4分の3は、オランダの旗が靡いていた。

(NHK 大戦国史より)


この番組を見ていて、家康がもしスペインを選んでいたら、
オランダは豊臣についたのではないか?

もしスペインが日本に入っていたら、すべてキリスト教徒に
されていたのではないか?

もし日本が植民地になっていたら、アジア全域も
いまだにヨーロッパおの植民地になっていたのでは?


日本の「銀」が歴史を彩ったのが良く判りました。

当時から「貿易戦争」はあり、今も続いている。


ではでは・・・

スクラップマスター南

yukimm425@gmail.com
posted by スクラップマスター at 10:54| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする